純文学

ビリジアン/柴崎友香_「かっこいい」ってなんだろう?

『ビリジアン』(柴崎友香/河出文庫)の読書感想文です。不思議な読後感が残る作品でした。このもやもやは柴崎友香の他作品を読んで解決していきたいと思います。あらすじと感想・考察(ややネタバレあり)を書きます。

『ビリジアン』のあらすじ

あらすじ

主人公は山田解(かい)です。『ビリジアン』は連作短編(20編)。 物語は、解の10歳から19歳の記憶を断片的に行ったり来たりする形で綴られています。 舞台は大阪、京都。 特にこれといったストーリーは存在せず、日常の些細な出来事に関する記憶を描写しています。 それぞれのエピソードの中に、描かれている年代や解のプロフィールに関するヒントが散りばめられており、読者はそれらを結び合わせることで、一つの文脈が浮き上がってきます。
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『ビリジアン』の感想と考察(ややネタバレ)

文体の独特のテンポ

『ビリジアン』は、構成が不思議であることに加えて、文体にも独特のテンポがあります。例えば、

十一歳だったわたしは十七歳だったので、十一歳のわたしが見上げていた歩道橋は高校からの帰り道だった。

言葉遊びというか、すごく回りくどい描写をしていますよね。 こういった描写は、作品のいたるところで登場して、異彩なオーラを放ちつつも、作品のミステリアスな魅力の要因の一つとなっていると思います。

記憶における意識の混濁

 作品の中で登場している外国に対しては、どういう解釈をするのが正解なんでしょう? 例えば、ルー・リードやボブ・ディランなどが、あたかもそこらへんにいる一般ピープルのように登場していて、解は彼らと普通に言葉を交わしているし、ましてや旧友であるかのような態度をとっています。 これは、記憶における意識の混濁を表しているのではないかと思いました。 みなさんも、ある音楽を聴くと昔の記憶が想起されるという経験があるのではないかと思います。 いわば、先に述べた現象は、これらの極端な例として、考えることができるのではないかと思います。 記憶の中の日常的な描写が非常に精緻である一方、このような現象が起こることは、記憶の不確かさや不安定さあるいは再構築を強調していて、この作品の土台をいい意味で、曖昧にする役割を担っているのではないかと思います。

「かっこいい」ってどういうこと?

「どうやったら、かっこよくなれるんかなって」

 解は作品の中で幾度か、上のような言葉を呟いています。 それがどういう意味を持っていたのかは、物語の中ではっきりと明示されていません。 しかし、以下の描写から、推測することは可能かもしれません。

 映画館は空いていた。いちばん後ろのいちばん端の席に座った。映画はおもしろかった。百貨店に入って、ずっとほしい地球儀を見に行った。五万円で、棚の同じところに置いてあった。わたし以外にほしい人はいないのかもしれないと思った。だからって安くはならなかった。作った人がすごいからだと思った。広い歩道橋を歩くころには暗くなっていた。人がたくさん歩いていた。一人残らず知らない人だった。誰もわたしを気にかけなかった。
 どこにでも行ける、と思った。わたしはどこにでも行ける。その意志があれば。

 そのままですが、解は1人でどこにでも行ける強さを獲得したかったのではないかと思います。 向かう先はどこだかわからないけれども、歩き出せる勇気、それを行動に移すことが、彼女にとっての「かっこいい」の定義だったのではないかと感じました。

『ビリジアン』はこんな人におすすめ

  • ミステリアスな文体を楽しみたい人
  • 日常の描写が中心の小説を読みたい人
  • 人間の記憶の再構築に興味がある人


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あとがき

『ビリジアン』(柴崎友香/河出文庫)の読書感想文でした。『ビリジアン』は、ありふれた日常における余韻・情緒の描写と、独特な文体によるミステリアスな魅力、そして記憶がある意味、相対的なカタチを持つことを示唆していること、に本質があるのではないかと思いました。 ぜひ、未読の方はその辺りに注目して物語を楽しんでみてくださいね。

まとめ
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