『がらくた』(江國香織/新潮文庫)の読書感想文です。歪ながらも甘い恋愛を描いた傑作長編です。賛否両論あるようですが、僕はいい作品だと思いました。江國香織の世界観がよく表現されています。あらすじと感想・考察(ややネタバレ)を書きます。
『がらくた』のあらすじ
私は彼の存在を望み、不在による空虚さをも望んだ。
『がらくた』の感想と考察(ややネタバレ)
『がらくた』の感想と考察を書きます。ネタバレが嫌だよって人はコチラまで、進んでください。
好き嫌いが分かれる理由
人は人を所有できるが、独占はできない。私が情事から学んだことの一つだ。そして、それでも独占したいと望むなら、望まないものも含めたすべてをーたとえばガールフレンドたちごと夫をー所有する以外にない。
これは、なかなか斬新な考え方ですね(笑)
そして、武男も、柊子が他の男性と関係を持つことを受け入れている⋯⋯というよりも推奨しています。
「今度はもっと遠くに行っておいで。遠くにいけば行くほど、ほんとうのことがわかるはずなんだから」
この原夫妻のスタンスに生理的な嫌悪感を感じる読者さんは多いようです。
amazonのレビューでも「原さん気持ち悪い」というコメントがいくつもありました。
そのため、「がらくた」という作品は、好き嫌いが分かれるようです。
江國香織の作品に特徴的な2つの性質
上述したように『がらくた』は好き嫌いが分かれる作品です。
ただ、僕は肯定的に捉えました。
『がらくた』は、江國香織の作品に特徴的な2つの性質を含んでいるからです。
近視眼的な恋愛
1つ目は、「近視眼的な恋愛」です。
つまり、愛する人に夢中すぎて、周りとか世間の常識が一切通用しない状況に(主に女性が)陥ることです。
この特徴は、非難を受けやすいですが、僕は良いと思います。
だって、恋愛は主観的で、他人のものさしではかれるものではないからです。
どんなに浮世離れした恋愛をおくっていようが、本人たちが幸せなら、つべこべ言われる道理はないと思います。
だからこそ、柊子と武男の関係も、愛の一つのカタチと考えてもいいのではないでしょうか。
少なくとも色眼鏡を持って見ることはやめて、その裏にある心理を見つめる必要はあると思います。
刹那主義的な恋愛
2つ目は、「刹那主義的な恋愛」です。
私は夫の首に腕をまわした。頬に頬をつけ、皮膚の匂いをかぐ。あと数分で、夫はでて行ってしまう。私の知らない場所に行き、私の知らない人々と会うのだ。そのときの夫は、私の知らない人格をまとっているはずだ。だから私は強く夫を抱く。いま目の前にいる男とは、もう二度と会えないと知っているから。次に会ったとき、彼がちゃんと新しく、私を発見してくれるように祈りながら。
他人を所有して独占することはできるかもしれないですが、一瞬を切り取って、ジャムのように保存することは、できません。
きっとそれも、彼女が情事から学んだことの一つなんでしょう。
刹那に宿る儚さとその美しさ…。
江國香織は、それを描くことが、とても上手です。
完結した大人の世界への乱入者
柊子と武男の二人だけで、『がらくた』の世界は完結されているのですが、そこに乱入者があらわれます。
それが、ミミです。
彼女は、大人たちの世界に仲間入りしたいと考える一方、その完結された世界に、閉塞感を覚えます。
そのやり場のない感情の矛先は、柊子に向けられています。
ミミは、柊子の母親・桐子のことも武男のことも好ましく思っていますが、柊子に対しては、一貫して、心に壁を作っているようです。
江國さんの描く大人たちの世界の話だけでも僕は十分満足でしたが、ミミというスパイスが加わることによって、物語性は増したと思います。
そういった意味で、彼女はキーパーソンでした。
個人的には、傲慢な性格が、あまり好きにはなれませんでしたが(笑)
評価:『がらくた』はこんな人におすすめ
評価



あとがき:がらくた
『がらくた』(江國香織/新潮文庫)の読書感想文でした。『がらくた』は、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、江國香織らしさが色濃く出た作品だと思います。少なくとも僕は、楽しく読むことができました。江國香織作品も、もっと読んでいきたいです。