『蛇にピアス』(金原ひとみ)の読書感想文です。
第130回「芥川賞」受賞および第27回「すばる文学賞」の受賞作です。
綿矢りさの『蹴りたい背中』と芥川賞をW受賞したことで、話題になりました。
描写はやや過激であるにもかかわらず、幅広く評価を得ている『蛇にピアス』の魅力に迫ります。
※ほぼネタバレ無し
『蛇にピアス』(金原ひとみ)のあらすじ
あらすじ
『蛇にピアス』(金原ひとみ)の書評/感想
ポイント
- 身体改造に対する筆者の意見
- 衝動に駆られて身体改造をしても空虚
- 人間の本能を正確に描いている
身体改造に対する筆者の意見
スプリットタンというのは主にマッドな奴らがやる、彼等の言葉で言えば身体改造。
舌にピアスをして、その穴をどんどん拡張していって、残った先端部分をデンタルフロスや釣り糸などで縛り、最後にそこをメスやカミソリで切り離し、スプリットタンを完成させる。
さて、「身体改造」について、僕の意見を述べると、それをやる人の動機はそれぞれ異なると思いますが、いずれも相応の理由があるんだろうと思い、基本的に「アリ」というスタンスです。
例えば、僕もそこそこピアスをあけてるんですよ。
それは何故かと言うと、ある種の「懲罰」なんですよね、自分に対しての。
何と言うか、合法的に自分を傷つけても良く、しかもその証のようなものを形として残せる、非常に使い勝手のいい手段なんです。
それが僕の相応な理由です。
衝動に駆られて身体改造をしても空虚
そして、「身体改造」は、強い衝動性に基づいて行われていると思います。
この作品の中でもルイが、無理な拡張を繰り返しているシーンが描かれていますが、この気持ちはすごく良く理解できるんですよ。
一度、こうしたいと思うと、せずにはいられないような、そんな魅力というか引力が「身体改造」にはあるんだと思います。
これは、自分がまだピアスをあけていなかった時には理解しがたい感情でした。
でも、その行為によって得られた結果は空虚なんですよね。
別にそのことによって、自分を取り巻く環境や自分の中にある感情が、大きく変化することもない。
作中では、このように描かれています。
舌ピをした。
刺青が完成して、スプリットタンが完成したら、私はその時何を思うだろう。
普通に生活していれば、恐らく一生変わらないはずのものを、自ら進んで変えるという事。
それは神に背いているとも、自我を信じているともとれる。
私はずっと何も持たず何も気にせず何も咎めずに生きてきた。
きっと、私の未来にも、刺青にも、スプリットタンにも、意味なんてない。
その通りだと思います。結局、意味なんてない。
でも、ああ、意味なかったなって実感できるまで、理屈ではわかっていても、感情は、その最後の時を迎えるまで、納得することはできない。
そんなようなもんだと思います。
だから僕もその時を迎えるまで「身体改造」を続けるのかもしれません。
人間の本能を正確に描いている
この作品を読んでいて、心理描写は割とどうでもいいなって僕は思います。
だって、ルイは子どもだし、アマとシバは何を考えているか全くわからない、そんな設定なので、彼女らが、どう感じたかなんて、想像するのは、大して興味ないんですよね。
ただ、理性ではない、本能的な部分での欲求に関する描写が、とても優れていると感じました。
ルイとシバのセックスシーンなどでは、それが顕著だったと思います。
そこを繰り抜いて、言語化した、金原さんの感性はとても素晴らしいと思いました。
『蛇にピアス』はこんな人におすすめ!



あとがき:蛇にピアス
今回は、金原ひとみの『蛇にピアス』についての感想を記事にしました。
きっとこのブログの読者の方の多くがこの作品を読んだことがあると思います。
映画も有名ですので、観たことがない人はぜひ。