ミステリー

■【書評】『世界が赫に染まる日に』(櫛木理宇)が問う私刑の是非と邪眼の正体

モロケン

未経験からフリーライターとして独立、起業。日給500円から始めて今では1記事5万円も珍しくない。いつまでも純粋さを大切にしたい。

『世界が赫に染まる日に』(櫛木理宇)の読書感想文です。ストーリーが面白い作品は、読んでいても全然飽きませんよね。 この本はまさにそんな感じでした! ちょっぴり暴力的な復讐のお話。あらすじと感想・考察(ネタバレ)を書きます。

『世界が赫に染まる日に』のあらすじ

ここは夜の公園。 中学3年生・緒方櫂(カイ)は、同級生の高橋文稀(フミキ)と話していた。体育会系のカイと友達がいないフミキに接点はなかった。だが、フミキから15歳の誕生日に自殺する話を聞いたカイは「じゃあ、それまで、俺を手伝えよ」と、とある復讐の話をする。 その復讐とは、カイの従兄妹の未来を奪った加害者に対する私刑であった。 二つ返事で承諾したフミキ。 二人の間には、不思議な契約関係が生まれる。 「じゃあ、予行演習をするべきだね」というフミキの言葉から、本番まで、少年法で守られている犯罪者たちに対する私刑を決行することに。 そこから、この赫に染まる復讐劇が始まった。

『世界が赫に染まる日に』の感想・考察(ネタバレあり)

暴力シーンが多いことについて

この作品に対する評価として、暴力シーンが多いという反応があるようです。 しかし、これは話の性質が「私刑と復讐」なんですから、ある程度までは目を瞑るべきです。 そうではないと、文章から生々しさが伝わらず、印象に残らなくなってしまうでしょう。 それに、暴力シーンは確かに多く描かれていますが、それほど残酷ではありません。 例えばこんな感じです。

 人体において、左右一対なのは眼球だけではない。 櫂は腎臓を狙っていた。 蹴りは何発もつづいた。 何度も、何度も叩きこんだ
 気づけば、栄谷は白目を剥いていた。 ガムテープの隙間から、血と涎まじりのこまかい泡が垂れ落ちている。 すでに意識は断ち切れていた。

そんなに非道くはないでしょう?これなら中高生とか残酷なシーンが苦手な方でも、十分に読むことができると思います。

ITリテラシーの話

新しい狩りの獲物(私刑の対象)を探すのは、もっぱらフミキの仕事です。 携帯電話は持っていないというフミキですが、IT方面には強いらしく、加害者の情報をネット上からあらゆる手段を用いて、入手します。

「…彼らは同級生や他校の生徒たちが見ることは想定していても、ぼくらみたいなまるっきりの他人まで見てるってことは、なぜか想像しないらしい。 ツイッターで犯罪自慢の馬鹿な投稿が絶えないのは、そのせいだ。 想像力が、自分の知ってる世界の範囲内にしかはたらかないんだ」

 これはよくニュースになっている話ですよね。 あとは、リベンジポルノとか…その辺りの話題はトレンドで、作品によりリアルな質感をもたらしてくれるという意味で、とても効果的だったと思います。

フミキの「邪眼」とは結局何だったのか?

 まずはじめに書いておこう。ぼくの左目は、邪眼だ。
 ギリシャ神話のメデューサのように、ぼくに見つめられたやつは石になる。

 勿論、本当に石になるわけではないです。 そして、隠しきれない中二病感はあるが、本人はいたって深刻にとらえています。 では、石になるとはどういう意味の比喩表現なのか? それに注目しつつ作品を読んでいくと、こんな描写も。

 昨夜ぼくは、公園で新しい相棒を拾った。
 …
 驚いたことに相棒は、ぼくが見つめても石にならない。 こんなのは祖父以来だ。

 どうやら、例外があるらしい。 それはおそらくカイの人格によるものだろうと推測しました。

 邪眼の意味が明らかになるのは、左目が実はママの起こした事故により義眼になったと告白する場面です。

 ぼくを無視するやつはすべて、「この邪眼で石に変えたんだ」と己に言い聞かせてきた。 死んだおにいちゃんや、死んだも同然のぼく自身だって例外じゃない。 やはり石だった。 生きていたのはかろうじて—脳内の住人ではあったけれど—祖父だけだ。
 でも、カイがあらわれた。
 あいつはぼくを無視しなかった。 ぼくに話しかけてきた。 ぼくの、相棒になった。

 なるほど、つまり、石になるとは、フミキを無視する(もしくわそれに準ずる態度)ということだったんですね。 そうやって、自分に言い聞かせて、今まで生きてきたんでしょう。 とても寂しかったですよね。 でも、カイと過ごしているうちはそのことも忘れられたんじゃないんでしょうか。 フミキにとって、カイは唯一の友達であり相棒。 だからこそ、同情されたくはなかったんでしょうね。

私刑による復讐の是非

 当然、優等生的回答はNG。 犯罪少年少女と言えども裁かれる法律は存在するし、少年院もあります。 自分の犯した罪の大きさも差しはかることができない者に対して、社会復帰を完全に絶ってしまうような刑は、少し過酷なのではないか、という意見。
 僕の意見は限りなくYESに近いNOといったところでしょうか。 責任能力が争点だと思うんですが、今の子供って大人が思っているよりも、世の中のことを知っています。 あらゆる情報が簡単にスマホからアクセスできる社会になったことも大きいと思います。 ですので、僕は、責任能力がないとは思えないのです。 それによって守られ、本来与えられるべき刑が軽減されることは、やはり理不尽を感じてしまいます。 かといって、私刑は犯罪です。 それに、作中でもありましたが、「社会正義」だと誤認してしまうところがあります。 やっぱり所詮、人は人を裁けないし、裁くべきでもないんでしょう。 私刑が認められる社会に住みたいとは思えないですしね。

バッドエンドか? ハッピーエンドか?

カイはフミキに庇われ、刑に処されることはなく日常を送ります。 だから、問題なし。 一方、派手に暴れたフミキは植物人間状態です。 でも、少なくとも生きてはいます。 彼のことを思ってくれる人がいることもわかりました。 最後やらかしちゃった分、ダメージは大きくなりましたが、バッドエンドではないと僕は思います。 ハッピーでは決してないけれども。

評価:『世界が赫に染まる日に』はこんな人におすすめ!

評価

パリピ
暴力的な描写があっても大丈夫だよ〜

冷たく燃える男の友情をみてみたい⋯。
文学青年

サブカル
社会学の視点から私刑の是非を考えてみたい。

あとがき:世界が赫に染まる日に

『世界が赫に染まる日に』(櫛木理宇)の読書感想文でした。櫛木理宇の作品を読むのは初めてだったのですが、他の著作も気になりはじめました。 これから、読んでいきたいと思います。

櫛木 理宇(くしき りう)
1972年新潟県生まれ。
会社勤務を経て、執筆活動を開始する。
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未経験からフリーライターとして独立、起業。日給500円から始めて今では1記事5万円も珍しくない。いつまでも純粋さを大切にしたい。