第75回芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)の読書感想文です。筆者が人生でもっとも影響を受けた本を挙げるなら、この作品を選びます。賛否両論ありますが、素晴らしい作品だと思います。
『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)のあらすじ
あらすじ
『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)の感想と考察(ややネタバレ)

読みどころ
- リュウの客観的視点と没個性的態度が刺激的描写と相反するように作品を静寂・透明にしている
- 当時の過激な若者の文化を淡々と描写しており衝撃的な内容である
- グリーンアイのいう「黒い鳥」が現代者会を暗喩していることに気づいたリュウの末路
文学の裏には伝えたいメッセージがあると知った
筆者が最初にこの本を読んだのは高校生の頃だったと思います。
思春期だった筆者は、あまりに直接的な風俗描写に戸惑いつつも、こんな世界があるのかと、驚きました。
そして、解説を読んで、文学の裏にはテーマが存在していて、それをシナリオだったり登場人物だったり描写だったりを組み合わせて、表現する、表現されたものをメッセージとして受け取る、それが「読書」という行為なのだと知りました。
それから、筆者の読書観は変わり、他の本を読んでいてもこれは何を言いたいんだろう、主題はなんだといった視点で本を読むことができるようになりました。
混然の中に潜む静寂を感じるようになった
次に僕が受けた影響は、混然としたものの中に潜む静寂を感じるようになったことです。
この本では上でも述べた通り、過激な描写に潜む透明さがあり、その視点を獲得することで、いわば、リュウの視点を物事に対して持つことができるようになりました。
リュウが目で見た風景や街並みを観察して都市を創造したように、Aという風景があれば、それを1の視点、2の視点、3の視点から眺めそれらを再配置していくということで、物事を多角的に捉えることが可能になり、それは、僕の人生観にとても大きな影響をもたらしました。
白い起伏とはなんだったのか?
筆者は、『限りなく透明に近いブルー』を何十回も読んでいるのですが、わからないことがあります。
それは、
青白い閃光が一瞬全てを透明にした。
リリーのからだも僕の腕も基地も山々も空も透けて見えた。
そして僕はそれら透明になった彼方に一本の曲線が走っているのを見つけた。
これまで見たこともない形のない曲線、白い起伏、優しいカーブを描いた白い起伏だった。
影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。
その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。
波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
の中に書かれている「白い起伏」が「黒い鳥」と対になっているのかということです。
もし、その場合、白い起伏が何かというのは漠然とした考えがあります。
ただ、確信に至りません。
この「白い起伏」はとても重要なテーマになりうると思います。これについて、考え続けようと思います。
『限りなく透明に近いブルー』はこんな人におすすめ!



あとがき:『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)
この作品は筆者にとって特別な作品です。
「本を読む」ことがどういうことか、多角的な視点とは何か、喧騒の中にある静寂、を教えてくれた本です。
それを高校生の時に気づいて、今に至るまで、様々な選択がありましたが、どれだけこの本が筆者にくれたものが影響したのでしょうか。
読んだことがない方はぜひ一読してみることをおすすめします。
表面の風俗描写は本質ではありません。
ちょっと読み進めるのが苦しくても最後まで読み通せば、きっと得られるものがあるはずです。