はじめに
『限りなく透明に近いブルー』 著:村上龍 第75回芥川賞受賞作.
僕が人生で最も影響を受けた本を挙げるとするならば、この本を選びます。
そのくらい大切にしている本です。
限りなく透明に近いブルー
あらすじ
舞台は東京、基地の町、福生。
ここにあるアパートの一室、通称ハウスで主人公リュウや複数の男女がクスリ、LSD、セックス、暴力、兵士との交流などに明け暮れ生活している。
明日、何か変わったことがおこるわけでも、何かを探していたり、期待しているわけでもない。
リュウは仲間達の行為を客観的に見続け、彼らはハウスを中心にただただ荒廃していく。
そしていつの間にかハウスからは仲間達は去っていき、リュウの目にはいつか見た幻覚が鳥として見えた。(wikipediaより)
感想
この本の解説として、主人公(リュウ)の客観的な視点と没個性的態度が、表面上は刺激的な描写をしているにも関わらず、作品を静寂・透明にしていることを評価することと、グリーンアイが言っていた「黒い鳥」が現代の社会構造を暗喩していて、そのことに気づいたリュウが狂い、飲み込まれていく様子を極めて精緻に描いているという2点があると思います。
これらはまさにその通りで、『限りなく透明に近いブルー』という作品名からも作者がそのことを意図したのではないかとうかがえます。
上記で一般的な作品評価について述べましたが、同じことを言ってもあまり面白くないので、僕がこの作品からどのような影響を受けたかについて、書きたいと思います。
僕が最初にこの本を読んだのは高校生の頃だったと思います。
思春期だった僕はそのあまりに直接的な風俗描写に戸惑いつつも、こんな世界が世の中にはあるのかと、真っ先に驚きました。
そして、解説を読んで、読書の裏にはテーマが存在していて、それをシナリオだったり登場人物だったり描写だったりを組み合わせて、表現する、表現されたものをメッセージとして受け取る、それが「読書」という行為なのだと知りました。
それから、僕の読書観は変わり、他の本を読んでいてもこれは何を言いたいんだろう、主題はなんだといった視点で本を読むことができるようになりました。
次に僕が受けた影響は、混然としたものの中に潜む静寂を感じるようになったことです。
この本では上でも述べた通り、過激な描写に潜む透明さがあり、その視点を獲得することで、いわば、リュウの視点を物事に対して持つことができるようになりました。
リュウが目で見た風景や街並みを観察して都市を創造したように、Aという風景があれば、それを1の視点、2の視点、3の視点から眺めそれらを再配置していくということで、物事を多角的に捉えることが可能になり、それは、僕の人生観にとても大きな影響をもたらしました。
最後に、1点。僕はこの本を何十回も読んでいるのですが、わからないことがあります。
それは、
青白い閃光が一瞬全てを透明にした。
リリーのからだも僕の腕も基地も山々も空も透けて見えた。
そして僕はそれら透明になった彼方に一本の曲線が走っているのを見つけた。
これまで見たこともない形のない曲線、白い起伏、優しいカーブを描いた白い起伏だった。
影のように映っている町はその稜線で微妙な起伏を作っている。
その起伏は雨の飛行場でリリーを殺しそうになった時、雷と共に一瞬目に焼きついたあの白っぽい起伏と同じものだ。
波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
これまでずっと、いつだって、僕はこの白っぽい起伏に包まれていたのだ。
の中に書かれている「白い起伏」が「黒い鳥」と対になっているのかということです。
もし、その場合、白い起伏が何かというのは何となく考えがあるんですが、もし違う場合、この「白い起伏」がなにを表現しようとしているのか、そのことはわからないままです。
この「白い起伏」はとても重要なテーマになりうると思います。これについて、考え続けようと思います。
あとがき
この作品は僕にとって特別な作品です。
「本を読む」ことがどういうことか、多角的な視点とは何か、喧騒の中にある静寂、を僕に教えてくれた本。
それを高校生の時に気づいて、今に至るまで、様々な選択がありましたが、どれだけこの本が僕にくれたものが影響したのでしょうか。
それくらい、大好きな作品です。
読んだことがない方は是非是非一読してみることをおすすめします。
表面の風俗描写は本質的ではありません。
苦手な人はそこはスルーしてもいいと思います。