


『コンビニ人間』(村田沙耶香)のあらすじ
『コンビニ人間』(村田沙耶香)の感想と考察(ややネタバレ)

幼い頃から「異物」として生きてきた恵子の悟り
コンビニ人間の世界観
- 普通の人間 → 「就職」/「結婚」
- 異常な人間(異物) → 「アルバイト」(無職) /「未婚」
- コンビニ人間 → 「超人間」
この作品の主題は「社会における正常と異常、その排除の話」であると思います。
この物語の主人公・古倉恵子(以下、恵子)は、幼いころから異常でした。
感情が希薄だったのです。
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない。郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。けれど、私は少し奇妙がられる子供だった。
恵子が、合理的な手段を持って、問題を解決しようとすると、周りに気味悪がられた。
そのため、恵子は自分で主体的に動くことを放棄しました。
恵子は超人間的進化を遂げコンビニ人間になる
コンビニにアルバイトとして働き始めた時、恵子はコンビニの仕事が自分の居場所だと感じました。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
18年間コンビニでアルバイトを続けて結婚もしない恵子を家族や友人は「問題」扱いしました。
恵子は自分が「異物」にならないように振る舞います。
自分が異物にならないために、マニュアル通りに振る舞うこと、これが最も大事なことだと悟ります。
「コンビニに居続けるには『店員』になるしかないですよね。それは簡単なことです。制服を着てマニュアル通りに振る舞うこと。世界が縄文だというなら、縄文の中でもそうです。普通の人間という皮をかぶって、そのマニュアル通りに振る舞えばムラ追い出されることも、邪魔者扱いされることもない」
恵子は気がつきました。
人間ではない「コンビニ人間」な自分は、「異物の排除」の論理から外れると。
「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部がコンビニのために存在しているんです」
いわば、それは超人間的進化だといえます。
日本社会における多様性の欠如
僕がこの物語から感じたのは、異物と決めつけられるルールにちっとも「多様性」という考え方がないなということでした。
だって、現代は「多様性」の時代です。
「多様性」の相互作用が新たな革新を生み出し、社会の原動力になる、そんな時代なんじゃないんですか?
ですので、この物語の論じている「結婚」しているだとか「働いている」だとかというモノサシで人間をはかるのは、あまりにも前時代的な考え方だな、と思いました。
勿論、そうなってくるとこの話の「正常」と「異常」の論理が崩れてしまうので、作者にもっと深い意図があるか、僕が子供なのか、どちらかなのだと思いますが。
考えすぎるのもよくないですが、考えないのも、それと同じくらい軽薄な気がします。
最後の恵子の開き直りというか、悟りに、唯一、恵子の意志が感じられ、嬉しくなりました。
僕も自分の意志を尊重した生き方ができれば、と前向きな気持ちになれました。
評価:『コンビニ人間』はこんな人におすすめ!
評価



あとがき:『コンビニ人間』(村田沙耶香)


