はじめに
今回は村田沙耶香さんの『殺人出産』(講談社、2014年)について感想を書きたいと思います。
先日読んだ『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012)がとても面白くて、さすが芥川賞とる作家さんの作品は違うなあ、という感じで、それと、タイトルの「殺人出産」という名前からどういうストーリーなんだろうと気になったので、購入しました。
『殺人出産』(2014)
あらすじ
殺人は100年前、悪でした。
現在は、10人産めば1人殺せる時代です。
その制度を利用する人を「産み人」と呼び、世間から讃えられる存在となりました。
殺人が肯定される時代となったのです。
会社員の育子には10代で「産み人」となった姉がいました。
彼女の殺人衝動によって、殺される人は誰でしょう。
このような社会は狂っているのでしょうか。
それとも、狂っていると指摘する人が狂っているのでしょうか。
善悪の定義を根本から問いなおす作品。
感想
「育子さんは今、殺したい人っていないんですか?」
そんな会話が日常で繰り広げられている某社会。
人口減少に対応するため、「殺人出産システム」を導入した日本では、「産み人」となり、子供を産む人が尊敬されます。
ただし、殺人がすべて許されるわけではありません。
このシステムに参加せずに、殺人を起こした人間に対しては、「産刑」という、女性は、病院で埋め込んだ避妊器具を外され、男性は人工子宮を埋め込まれ、一生牢獄の中で命を生み続けるという刑罰に処されます。
姉が最初の妊娠をして病院に入ったのは、まるで脳味噌の中を引っ掻き回されているかとおもうほど煩く蝉が鳴いている夏の日だった。
その日から私は、夏の匂いの中で蝉の声を聴くと、発狂しそうになる
育子はこのような社会に対して漠然とした狂気のようなものを感じていて、うまく馴染めていません。
それを象徴するように巷で流行っている「蝉スナック」を食べることに拒否感を感じる育子が描写されています。
それとは逆に、この世界を完全に受け入れている従妹で小学5年生のミサキは、この社会に対して心酔している様子が描かれています。
うん、あのね、あたし、あれからずっと(産み人である姉の環と面会してから)、朝と夜にお祈りしてるんだ。
祈っているとね、感じるの。
大きな命の流れの中を、あたしたちは泳いでいるんだって。
その命の流れが光の川になって見える気がするの
このような社会に真っ向から対立する考えを持っているのはルドベキア会の早紀子です。
「本当に酷い世界になってしまったものです。
殺人をエサに産ませ続けるなんて、死刑よりずっと酷い拷問よ。
でも誰も何も言わない。
人類が滅びないために、ヒトが子孫を残し続けるために、「産み人」などと名付けて美化して、その上で犠牲にし続ける。
自分たちはのうのうと、お腹を痛めることを忘れ、快楽だけのセックスに没頭しながらね。
この世界は狂っているわ。」
育子と姉の環、従妹のミサキ、そして早紀子それぞれが社会の変化についてどう考えているか、そのことを通じて提起される問題、命とは何か、殺意とは何か。それを考えることがこの作品のメッセージであり大きなテーマであると感じます。
僕の意見を述べます。
僕は、蝉スナックも蝉ドッグも食べたくないけど、このような社会は良いと思います。
その理由の1つが、僕は高齢化社会をかなり大きな問題だという風に捉えていて、それを解決するための、合理的な手段であるという風に感じるからです。
2つ目の理由は、どうしようもないほどの殺意を持っている人間というものを僕は理解できるからです。
芽生えてしまった殺意を犯罪というカタチで実行してしまうよりも、「産み人」となって、命を造ってから、命を奪い、殺された人も丁重に扱われるのであれば、ありなんじゃないかなと思います。
実際に自分がもし指名されたら、どういう感情になるかはわかりませんが。
まとめ
- 殺人が肯定される社会の是非
- 個人的には「殺人出産システム」に賛成
あとがき
今回は、村田沙耶香さんの作品である『殺人出産』(2014)について記事を書きました。
投げかけられるテーマがとても壮大で、自分だったらどう思うか考えずにはいられない作品でした。
「殺人出産システム」という歪なものがストーリーを通じて少しずつ忍びよってくる、そんな感覚を持ちました。
みなさんは、どのように考えますか?
意見をお聞かせください。
ぜひぜひ読んでみてくださいね!