読書ブログ『積ん読と感想わ』をご覧いただきありがとうございます。

当サイト管理人のkentです。

ここではkentの自己紹介をさせていただきます。

小学生時代にいじめられている子に話しかけたらいじめられて不登校になる。

中高一貫に進学して、ゲーセンに通って授業中に小説を読む根暗な人間に育つ。

高一の三学期に受けた模試が偏差値30で、そろそろ受験勉強するかと考えて計画を立てる。

順調に成績は伸び最後の模試では全国95位に。第一志望の一橋大学に合格する。

大学では、AIESEC(アイセック)という世界最大の学生団体に入る。

AIESECは日本に十数カ所拠点があり、東大や京大、慶応や早稲田などの学生たちとつながりができる。

AIESECの理念は今でも覚えている。

Peace & Fulfillment of Humankind’s Potential
(私たちは、平和で人々の可能性が最大限発揮された社会の実現を目指します。)

AIESECの活動が好きだったので、大学の勉強よりもAIESECに没頭した。

僕はクールぶっていたので、当時のメンバーは僕がそんなにAIESECにハマっているとは思わなかっただろう。

大学1年生のときは、発展途上国の企業やNGOに日本のインターン生を送り出すプロジェクトに入った。

夏にはフィリピンのスタディーツアー(2週間)に参加して、現地のNGOやJICA、ジェトロなどに訪問した。

このときの僕はめちゃくちゃだった

部屋に大きな虫がいるのを見て夜中に部屋から逃走して先輩が探してくれたり、クラブではステージにのぼったりして警備員から追い出された。

後は土砂降りの中、海に飛び込んで溺れて先輩に助けてもらったり(先輩は次の日風邪をひいた)。

100人くらいいるステージの上でビキニを着ながら英語で一発芸をするなどした(これは僕の意思ではない。強制参加だ)。

そんな僕も大学2年生になると、同じプロジェクトのリーダーになった。

メンバーは20名ほど。このときに人をマネジメントすることがどんなに難しいかを学んだ。

夏にはインドネシアにメンバーを連れてったが、あまりいい経験をさせてあげられず申し訳なかった。

空港への帰り道では目の前の車がスピンしてきて僕らの車は、中央分離帯に突っ込んだ。

幸い誰も怪我がなく、僕のマーケットで買った絵も無事だった。

とりあえず通りすがりのタクシーに乗り換え無事に帰国。

大学3年生では、送り出し事業局の局長となった。

マネジメントするプロジェクトは4つ。

メンバーは60名ほどいた。

僕はメンバーのインターン参加率の低さが団体のボトルネックだと考えていたので、背中を見せるリーダーシップをとった。

カンボジアの社会起業家を育成するプロジェクトに2ヶ月ほど参加したのだ。

プロジェクトのメンバーは、世界中から参加しておりみんな英語が上手かった。

僕はMacを持っているという理由から、クリエイティブっぽい仕事を任され、SNSプロモーションをしたり、フライヤーやポスターを作ったり、ムービーの作成などをした。

プロジェクトで空いた時間で、バスでラオスに向かった。

このとき僕は忘れない経験をした。

フランス人が運営するラオスのツアーに参加したのだが、本当にまだ観光地化されていない小さな村を訪ねた。

そのときに見た子供たちの笑顔が僕の胸に強く食い込んだ。

みんな幸せそうな笑顔なのだ

カンボジアでちょくちょく手伝ってた孤児院の子供も幸せそうだった。

このとき、日本の子供よりずっとこの子たちは幸せなんだろう、と思った。

幸せは相対的なもの。貧しくても幸せな人はたくさんいるのだ。

自分がインターンに参加してメンバーを引っ張ったこともあり、事業成果は昨年度の2倍の55名にすることができた。

1年を通じて僕自身は100名ほどの応募者にプログラムの相談・説明をした。

ここでコミュニケーション能力が磨かれたように思う。

この年は、ベトナムの国際会議に参加したのもいい経験になった。

そして大学4年になる前に僕には3つの選択肢があった。

休学することは決定済み。

①AIESECJapanの幹部になる

②イギリス留学に行く

③世界一週をする

正直、AIESECをやり抜きたかったが、幹部は事務的な仕事が多くなりそれは僕の苦手なことだった。

そして、世界一周するよりもイギリス留学で確実に英語力を身につけることが大事に思えた。

そこで僕はイギリス旅行に向かった。

しかしAIESECの引き継ぎが大分アバウトになってしまい後輩に迷惑をかけた。

あのときは本当に申し訳なかったと思う。

イギリス留学は、まあまあだった。

確かに、英語力は上がりFCEというケンブリッジ英検という受かるのがそこそこ難しい資格もとった。

ただ、まあまあだった。

これまでのAIESECの海外経験は、ほとんどが東南アジアだったので、いろいろスリリングだったが、ヨーロッパは日本に似ていてそれほどカルチャーショックはなかった。

帰国後、TOEICを受け875点をとり、就活しなきゃなと思った。

就活するとき、やりたいことを考えてみたがまだ僕はやりたいことを絞る段階になかった。

というか、やってみないとやりたいことなんて見つかるはずないだろ、と思っていた。

ただAIESECの理念に共感していたので、世の中のためになることがしたかった。

結論として、やりたいことはそのうち見つかるから今は爪を研ごうと考えた。

そのためには、外資系コンサルが最適に思えた。

3年働いて転職しようと考えた。

そしてとにかくITは確実にこれから重要度が増すだろうという確信があったので、最大手のアクセンチュアに入った。

アクセンチュアはAIESECと一緒にプログラムをしたりしていたので、何となく親近感もあった。

入社したとき僕は彼女とも別れてすごくテンションが低かったので、すごいけだるいテンションで研修に参加した。

だから友達もできなかったが、シカゴに研修に行ったころくらいからテンションが上がってきて、友達もできてきた。

そして研修が終わり、配属先の大手企業に向かった。

基本的にSIerっぽい仕事なので、クライアント先に常駐になる。

はっきりいって仕事がつまんなすぎて死ぬかと思った。

ExcelとAccessのスキルだけすさまじい勢いで磨かれていったが、明らかにこんなにつまらない上に意味もない仕事だったのは想定外だった。

上司のマネジメントもAIESECのときのマネジメント層と比べて能力が低すぎる。

しかも質問すると無視され、いないところで陰口をいわれた

給料だけは破格によかったがそんなことはどうでもよかった。

ただとにかくITスキルを身につけたかったので、いっそエンジニアになるかと思い、エンジニアとして転職した。

でも長くは続かなかった。理由は今考えるとよくわかるが、僕はそもそも縛られるのが嫌いなのだ。

だから中学も高校も毎日死にたかった。

世の中にはくだらないルールが多すぎる。

会社を辞めて、ぶらぶらと旅して、フリーランスになった。

まずはクラウドワークスで単価500円の記事から始めた。一日かかったが、楽しかった。

自由も責任も自分次第というところにすごくわくわくした。

3ヶ月くらいでクラウドワークスを卒業して、月20~30万円くらい稼げるようになった。

特にブロックチェーンが面白くて、たくさんの有名メディアに寄稿した。

海外のプロジェクトからアポが来たり、大手銀行からヒアリングを頼まれたり、いろいろな相談にのったりもした。

朝日新聞にミレニアル世代の働き方の代表例として掲載された。

このあたりから、世の中のためになることがしたいなと思い始めた。

そのときライターはエンジニアと違って横のつながりが希薄だなと感じていたので、「執筆もくもく会」という交流会を主催してメンバーは60名くらいになった。

ただ人集めるのがしんどくなってきて7回目くらいでやめてしまったので、またそのうち挑戦したいと思う。

執筆もくもく会

いろいろ経験してきて自分の強みは「Creativity × Communication」だと思った。

新しいことを考えて行動に移すことが好きだし、いろいろな人と関わるのが楽しい。

このあたりを自分の軸(コアコンピタンス)にして、いろいろなことに挑戦している。


ここからは、せっかく縁があってここまで駄文に付き合ってくれた皆様にメッセージだ。

今、生きてて幸せですか?

きっととびっきりの笑顔でYESと言える人は少ないだろう。

今の日本は生きにくすぎる。

それこそ小説の世界に没頭して、現実を忘れたくなる。

僕は世の中のためになることがしたいと言った。

その中のひとつに僕のように生きづらさを感じている人に自分の道を見つける手助けがしたいのだ。

余計なお世話、そうかもしれない。

でも心の中では辛い人がきっとたくさんいる。

そんなとき、フリーランスになることはひとつの解になると思うのだ。

コロナ禍で働き方が多様になる中、フリーランスになるハードルは昔よりも低い。

僕にできるアドバイスはあまり多くない。

しかし僕にしかできないアドバイスもある。

僕は小説が好きな人が現実で辛い思いをしている率が高いのを知ってる。

少なくとも、フリーライターになるなら、
エンジニアやデザイナー、コンサルタントよりはハードルが低い。

もし、今生きづらさを感じて、
そんな世界を自分の世界で変えてみたいなら、
相談にのるから教えてください。

最近知ったMeetyというサービスを使えば、
オンラインで気軽にキャリア相談ができるらしいのだ。

別にフリーライターになりたくなくてもいい。
このブログやここまでの文章を読んで、
僕と話したいなら誰でもwelcomです。

みなさんとお話しできることを楽しみにしています。