第37回すばる文学賞『左目に映る星』(奥田亜希子)の読書感想文です。
厭世的で夢見がちな世界観が印象に残った作品です。
この本を読んでからすぐに、奥田亜希子の他の著書も購入しました。
物語のトーンが自分には合っていたようです。
※ほぼネタバレ無し
『左目に映る星』のあらすじ
あらすじ
『左目に映る星』の書評/感想

「嫌だなって思うことがあったとき、乱視のほうの目だけになるといいよ。
いろんなものがぼやけて見えて、なんだかちょっとほっとするから」
左右の目の見え方に大きな違いがあることを「不同視」と呼ぶらしい。
へえ。
ちょっと左右で視力が違うという人は、いっぱいいると思いますが、この作品に出てくる早季子、吉住そして宮内は、不同視にあたるようです。
なるほど。
通常は、近視や乱視は単純に「問題」「欠陥」とみなして、矯正することが多いと思いますが、早季子は、それに大して、そうではない特別な感情を持っています。
それ故、右目を閉じて、左目だけで世界をみることは、ある種のアイデンティティでした。
そのため、その気持ちを共有していたいわば同志である吉住が、目を矯正したことは、早紀子にとって大きなショックだったんですね。
みんなひとりぼっちだなんて、当たり前のことだよ。でもこの当たり前さに気づくほど、寂しさっていうのは大きくなるんだよね。
早季子は、もう二度と出会うことがない吉住の「虚像」を愛し続ける世界で、孤独に生きていました。
そこに、たまたま、やってきた人物が宮内だったわけです。
早季子は、第2の吉住を発見した気持ちになり、宮内に強い関心を示すのですが、彼は生粋のアイドルオタクでした。
出会い頭でホテルに行くこともある早季子と女性と付き合ったことがない宮内をつなぐ、唯一の共通点が、「不同視」でした。
うん、少なくとも出会うきっかけはそうでした。
その後の早季子が宮内を思う気持ちがどのように変化していくのかは、ぜひ本書を手にとって見届けてあげてほしいです。
「でも、それがどんなに実像とかけ離れていても、虚像を見てしまうほど人を好きになったことは、絶対に間違いじゃあないです。絶対に。そこを取り違えたら、私たちは本当にだめになってしまう」
宮内がドハマりしてるアイドル・リリコも「虚像」に違いありません。
ファンは与えられたキャラクターの性質から内面やこうあるべきといったことを好き勝手に思い描き、それを崇拝する。
その行為は、文字通り、虚しいのでしょうか?
いいえ、少なくとも早季子はそのように考えていませんでした。
「虚像を見てしまうほと人を好きになる」。
それはきっとひたむきで情熱的な愛のカタチなのでしょう。
虚像を見るほど人を好きになったことが僕にあるだろうか。
もしYESだとしたら、きっと恵まれているんでしょうね。
皆さんは、どうですか?
『左目に映る星』はこんな人におすすめ!
- 実はワタシ「不同視」だよ!って人
- 厭世的な価値観をお持ちの人
- ちょっと変わった恋の話を読みたい人