『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)の読書感想文です。第156回「直木賞」と2017年「本屋大賞」の史上初のW受賞作品。500ページ2段組の構成ながらも、その世界観に魅了され、一気に読破。 こんなに、本を読むことに集中したのは、久しぶりかもしれない。この記事では、あらすじと感想、それから、作品の解釈(タイトルの意味するところとは?)について書きます。
「蜜蜂と遠雷」のあらすじ
ピアノコンクールの話。 近年注目度の高い「芳ヶ江(よしがえ)国際ピアノコンクール」に今回の主要人物となる4人が出場して、競い合う。 その4人とは。
風間塵(16歳)
養蜂家の父を持ち、各地を転々としながら生活をしている少年。 クラシック界の権威であるユウジ・フォン=ホフマンに5歳から師事している。 自宅にピアノを持たないにも関わらず、そのテクニックと表現力は超弩級。 今大会のダークホース。
栄伝亜夜(20歳)
かつて天才少女の名をほしいままにしてきた彼女は、13歳の時に指導者でもある母親を失くし、ピアノを弾くことをやめてしまう。 今回、彼女が通う音大の学長のすすめでコンクールに出場する彼女は、塵の演奏を聴き、進化していく。
高島明石(28歳)
今大会最年長の明石は、楽器店勤務のサラリーマン。 仕事の合間を縫って練習に励むが、他の出場者との練習量の差は歴然。 年長者かつ社会人であるからこそできる音楽を目指し、一念発起する。
マサル・C・レヴィ・アナトール(19歳)
今大会の優勝候補。 名門ジュリアード音楽院に通う彼の演奏技術と音楽性は他の追随を許さない。将来は作曲家としても名を馳せたいという野望を持つ。
大会は1次予選(約100名)、2次予選(24名)、3次予選(12名)、本選(6名)と進み、最後はオーケストラと共演する。
「生き残るのは誰か?」
「蜜蜂と遠雷」の感想と考察(ネタバレあり)
いやー、すごい作品でした。 本当に分厚い本(しかも2段組)なのに、あっという間に読了。 こんなことはなかなかありません。 読みたいとは思っていたのですけれど、そのボリュームの多さからちょっと敬遠していたんですが、そんな心配は杞憂でした。
恩田陸の表現力の豊かさに圧巻
まず、他の読書ブログでも一様に賞賛されていることは、恩田陸さんの「表現力の豊かさ」です。 音を言葉で説明することの難しさは容易に想像できると思います。 それをクラシック音楽でやるということは、その音楽について、深く理解していることが求められます。 作品に出てくる曲は1曲や2曲ではないので、まず、そこのインプットに非常に時間をかけたであろうことが容易に想像できます。 さらに、曲は明るい曲もあれば暗い曲もあり、壮大な曲もあれば個人的な曲もあります。 これを描写するためには、幅広い表現力が求められます。 最後に、一番難しかっただろうなという点は、同じ表現を2度使ってはならないということだと思います。 数十曲ある曲をそれぞれ別の言葉で形容しなければならない。 それは、表現のレパートリーが豊富じゃないと、とてもじゃないけど描き切れるものではありません。 これらの理由から、本作品を作り上げるのに、恩田陸さんが大変な労力をかけたことがわかり、頭が下がる思いでした。
森のどこかで斧を打ち込む音が響く。
規則正しく、力強いリズム。
叩く。叩く。腹の底に、森の中に響く振動。
心臓の鼓動。太鼓のリズム。生活の、感情の、交歓の、リズム。
叩く。叩く。
指のマレットで、木を叩く。
叩き続けているうちに、トランス状態になる。より力がこもり、打ち込む勢いは増す。いっしんに。無心に、まっしろになって、叩く。
最後の一撃を加え、短い残響を残して音は止む。
静寂。森のしじま。
描写がとても立体的である
次に僕が良かったと思う点は、演奏の評価が非常に「多角的な視点」から行われていることです。 それは、審査員・三枝子、マサルの師匠・ナタリエル、亜夜の友人・奏、であったり勿論、塵、亜夜、明石、マサルであったりする。 そうやって、複数の視座から作品が評価されることで、演奏に対する読者の印象が非常に立体的になっているような気がしました。 僕は、あまりコロコロと登場人物の視点が入れ替わる話は好きではないんですが、この作品に関しては、それがとても自然に行われていて、全く違和感を感じることはありませんでした。 そして、キャラクターの人間像も十分に描写してあり、それぞれが個性的なので、「あぁ、この人はこう感じるのか、なるほど」という風に感じられるので、より効果的に仕掛けが機能していたと思います。
三枝子は自分が全身に冷や汗を掻いているのを自覚していた。
そんな馬鹿な。
このグルーヴ感—足元からうねるこの感じは—
スイングしている?
そんなはずはない。 ちゃんとサン=サーンスの曲だ。
最後まで誰が勝つのか展開が読めず夢中になる
最後に、僕が良いと思った点は最後まで「コンクールの結果が予想できなかったこと」です。 普通こういう大会ものは最後に至る前に文章中のフラグから、なんとなく「この人が優勝するんだな」という結果が予想できるものですが、この作品では、それが最後までわかりませんでした。 「主人公は塵のようだから彼が優勝するのか?」とも思ったんですが、彼の独特すぎるスタイルは審査員受けしないとフラグがたっていたため、それはない。いや、でも、彼の演奏に対する描写は圧倒的に力が入っているし、審査員が徐々に彼を認めていく過程も描かれている。なら、やはり塵か? とか、審査員受けする誰が聞いても評価が高い優等生タイプのマサルが下馬評通りに優勝するのか? とか、塵の演奏に触発されどんどん進化していく天才少女・亜夜の演奏に対してマサルが自分では敵わないと描写されていることから、彼女が優勝するのか? とか、まあ明石は優勝はなく、恐らく菱沼賞だろうなというのは予想できましたけど(笑) 最後まで「誰が勝つのか?」というスリルを味わえて、それが作品をより良いものにしていたということは、言うまでもありません。 僕はぶっちゃけ亜夜が優勝すると思ってました。 でも、結果は…あの人でしたよね。
「蜜蜂と遠雷」の意味するところとは?
いろいろ感想を見ていて、だいたい2つの解釈があるんだなと思いました。 それぞれご紹介します。 ちなみに、蜜蜂という言葉は作品のいたるところで書かれていますが、遠雷という言葉は一度も使われていません。
仮説①
これは、恐らくもっとも思いつきやすい説です。
蜜蜂 | 風間塵 |
遠雷 | ホフマン |
という関係ですね。
根拠となるのは、塵が「音楽を外に連れ出す」という師匠・ホフマンの言葉の真意を探し、街をうろついていた時にあった描写。
塵は空を見上げる。
風はなく、雨は静かに降り注いでいた。
遠いところで、低く雷が鳴っている。
冬の雷。何かが胸の奥で泡立つ感じがした。
この描写から、天にいるホフマンが塵にメッセージを送ったと考えられると思います。 うん、なんとなく納得ですね。
仮説②
2つ目の仮説は少し強引です。 それは「世の中の全ての音が音楽である」ということを意味するということです。
これが蜜蜂。
明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であると。
これが遠雷。
明るく力強い音色が、世界を震わせていた。
波であり、振動である何かが、世界にあまねく響き渡っていた。
そして、世界とは、いつもなんという至上の音楽に満たされていることだろう、と。
この描写から強引に結論を引き出しました。 もし、これが正しいのなら、冒頭ですでにタイトルの説明がされていたことになりますね。
『蜜蜂と遠雷』はこんな人におすすめ
- クラシックは聴かないけど興味があるという人
- 一心不乱に上質な作品に没頭したい人
- 圧倒的な描写力から想像力を刺激したい人
あとがき
「蜜蜂と遠雷」についてあらすじ、感想、タイトルの意味について、記事にしました。 夜のピクニック読んだ時も面白いなあと思ったんですけど、その時に受けた作品の印象と今回の印象では、だいぶ違っていたので、そのことに少し驚きました。 恩田陸さんの他の作品も、もっと読んでみたいと思います。
1964年青森県青森市生まれ。宮城県仙台市出身。
早稲田大学教育学部卒業。