『水やりはいつも深夜だけど 』(窪美澄/角川文庫)の読書感想分です。家族の再生と希望を描いた短編集。思い通りにいかない現実に苦しみながらも、前を向いて歩こうとする登場人物の姿は、勇気をもらえます。あらすじと感想・考察(ややネタバレ)を書きます。
『水やりはいつも深夜だけど 』のあらすじ
「家族」の再生と希望を描いた6つの物語です。
基本的に各話は独立していますが、共通点が2つあります。
- 「植物」がアイテムとなっていること
- 同じ幼稚園に子どもを通わせていること
「収録作品一覧」
- ちらめくポーチュラカ
- サボテンの咆哮
- ゲンノショウコ
- 砂のないテラリウム
- かそけきサンカヨウ
- ノーチェ・ブエナのポインセチア(文庫版収録)
順番にあらすじを書いていきます。
ちらめくポーチュラカ
(出典:ポーチュラカ http://happamisaki.jp-o.net/flower/h/potyuraka.htm)
「その場所がいやなら逃げてもいいんだよ。逃げることは悪いことじゃない。」
サボテンの咆哮
(出典:サボテン-観葉植物一覧 http://www.kanyoplant.com/ichiran/saboten.html)
いったいおれのどこが悪かったのか?
ゲンノショウコ
(出典:ゲンノショウコ(現の証拠) http://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kuegep/gennosyouko.html)
「わからないよあなたには絶対にわからない私の気持ちなんか。妹みたいな子が自分の家族にいる気持ちとか、絶対にわかるわけない。あなたの家族はみんな普通だもの。私と結婚したことが、そもそも間違ってたんだよ。そうじゃない人と結婚すればよかったんだよ。ああいう妹がいて、ああいう妹みたいな子どもが生まれて、どんな生活になるのか、あなたにはなんにもわからないでしょう」
砂のないテラリウム
(出典:https://www.pinterest.jp/pin/451204456392771471/)
ここまで作りあげて来た家庭を壊す気なんてさらさらない。だけど、ぼくはちょっとだけさびしいんだ。誰かにほんの少しだけ、興味を持ってほしいんだ。
かそけきサンカヨウ
(出典:天翔りたるものども ガラス細工のサンカヨウ http://flyingwing.blog62.fc2.com/blog-entry-1914.html)
美子さんのことを全部知ったわけではないけれど、もっともっと透明になりたいと私は強く思った。美子さんのように。もっともっと透明で、強い女の人に。
ノーチェ・ブエナのポインセチア(文庫版収録)
(出典:ポインセチアは熱帯花木 by chackee – ポインセチアの栽培記録、育て方「そだレポ」 | みんなの趣味の園芸 https://www.shuminoengei.jp/?m=pc&a=page_r_detail&target_report_id=86)
「考えてよ。本気で考えてよ。母さんを幸せにしてよ。それは父さんの役割だろ」
『水やりはいつも深夜だけど 』の感想と考察(ややネタバレ)
『水やりはいつも深夜だけど』の感想と考察を書きます。ネタバレが嫌だよって人はコチラまで、進んでください。
登場人物に悪い人はいない
「水やりはいつも深夜だけど」の登場人物は、幸せになるために、精一杯努力をしています。
だけれども、思う通りにいかなくて、現実に問題を抱えています。
この問題の難しさは、責任の所在をはっきりさせることが出来ない点にあります。
誰かを糾弾することができれば、どれほど楽でしょうか。
それができないところにリアリティを感じさせます。
彼らに残された選択肢は、がむしゃらに前を向いてもがく、しかないのです。
その行為を、僕はとても美しいと思います。
なぜなら、それが生きることの本質に限りなく近いと感じるからです。
ぜひ本書を手にとって、登場人物の生き様を、目に焼きつけてほしいと思います。
過去のトラウマ(いじめ)
「水やりはいつも深夜だけど」で過去のトラウマを描いている話は、「ちらめくポーチュラカ」と「ゲンノショウコ」です。
特に、前者は僕の心を打ちました。
過去のトラウマが”いじめ“に関することだったからです。
このブログでも何度か、僕が昔いじめられていたことを言及してきました。
故に、「いじめ」の被害者が、どれほど人間関係に問題を抱えるか、理解できるのです。
僕の場合は、常に、周りの人間が自分の悪口を言っているように思える強迫観念がありました。
うまくやろうと思えば思うほど、空回りする。
その気持ちが痛いくらいよくわかります。
結局、意識し過ぎると、ろくなことにならないんですよね。
今では「まあ、うまくいかなくても別にいっか」くらいの感じで、人と接するのが丁度いいんだなと経験からわかってきました。
「ちらめくポーチュラカ」の終わり方も、希望を感じさせる素晴らしいラストでした。
窪美澄は、登場人物の心情の変化を婉曲的に表現することが非常にうまいと感じました。
みんな疲れてる?
「水やりはいつも深夜だけど」を読んで、現代社会で普通に生きることの厳しさを再認識させられた気がします。
「サボテンの咆哮」の主人公は、仕事が深夜まであるにもかかわらず、家事や育児にも目を向けなければなりませんでした。
それだけ頑張っても、家庭は冷えきっていったのでした。
まさに「これ以上どうすればいいの?」という感じです。
思うに、日本人は働き過ぎだと思います。
それが社会全体にあまりにも蔓延し過ぎていることで、みんなの感覚が麻痺していると思います。
「どうしてそんなに頑張る必要あるの?」
ちょっと立ち止まって、この質問に対する自分の答えを考えてみてほしいです。
勿論、頑張られているかたは、素晴らしいと思うのですが「もっとゆるくてもいいのでは?」とも思います。
なぜなら、オーバーワークで問題なのは、本人ではなく同僚にもそれを強要する空気を作り出すことだからです。
このあたり、根が深い問題だと思いますね。
幸せのカタチ
「幸せってどうしたらなれるんですか?」
その質問に答えるためには、その人にとっての幸せの定義を明確にする必要があります。
「水やりはいつも深夜だけど」の各話では、それぞれ異なる幸せのカタチがあることを、描いていました。
より正確には、幸せの輪郭を匂わせていると言えるでしょう。
昔は、杓子定規的に「幸せとはコレ!」みたいな実体があったらしいです。
今から考えると、うすら寒いですね。
幸せのカタチは多様化しています。
何を選ぶかは、僕たちの自由です。
それに対して、文句をつけることは、誰にもできません。
その代わりに、選択の代償や責任も自分で抱えることになります。
それをリスクと捉え、定型的な幸せのカタチにしがみつく人もいます。
もしかしたら、多くの人が未だにそうなのかもしれません。
しかし、僕は声を大にして言いたい。
自分の幸せは自分で切り拓いていくものだと。
「水やりはいつも深夜だけど」を読むことは、幸せのカタチを考えるきっかけを与えてくれるはずです。
『水やりはいつも深夜だけど』はこんな人におすすめ
評価



あとがき:水やりはいつも深夜だけど
『水やりはいつも深夜だけど 』(窪美澄/角川文庫)の読書感想文でした。窪美澄の作品は、久しぶりです。やはり、とてもいい作家だと思います。本の良し悪しを決める基準の一つに「どれだけ読者に考えるきっかけを提供できるか」ということがあると思います。その点、この本は非常に考えさせられる本でした。